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study5 ブランド考

2007年08月25日 17:07

原宿にあるBURBERRY BLACK LABELのフラッグ・シップ店に行ってきた。
特に高くもないし、困るとこの店に行って買い物をすることが多い。
その裏にはEMPORIO ARMANIもあるし。
ファースト・ラインであるBURBERRYやGIORGIO ARMANIにはちょっと手が出ないんだけどね。
もともと服やブランドにはそれほど興味がない。
3年くらい前は、仕事上いろいろな技術を身につけたりする資金にだとか、もう一度旅に出るためにと思ってやたらストイックに生きていて、洋服はすべてユニクロだのGAPだのですませていた。
それならそれで全然問題ない。
ヒッピーみたいなボロボロの格好でも一向に構わん。
それで女が逃げるなら逃げればいい。

でも最近旅の資金もそろそろ貯まり、映画や絵や食や音楽をもっと知ろうとお金を使うようになり、同じ視点で洋服を眺めるとどうしたっていい物には惹かれるようになる。

ってか、もともとブランドは嫌いじゃなかった。
社会人になりたての頃は給料がとてもよかったし、ブランド物がちょっと好きな女の子と付き合っていたので、CHANELだのLOUIS VUITTONだのCOACHだのを買ってあげていたし、自分も身につけていたりした。

うーん、実は、もともとはブランド好きかもしれない。
だとすると、オヤジがブランド好きだったからその影響を受けたんだろうな。

おもしろいことに、オヤジはブランド好きだけどブランド物を買うわけじゃない。
ブランドの歴史が好きで、日本史や世界史を楽しむのと同じ感覚でブランドに接していた。
たとえばオヤジにとって、OMEGAというのはスイスの腕時計という以上にアポロ13号で船員を救った奇跡の救出劇を意味するし、Ferragamoというのは相手の足をひと目見ただけで完璧な靴を仕立て上げてしまうサルヴァトーレ・フェラガモ氏の神業のことをいう。

同じことが大和和紀のマンガ『ハイヒールCOP』で語られていた。
たとえばCHANEL。
宝石に関して、ココ・シャネルは本物の石を使わなかった。
石が本物でなくても本物以上の指輪やネックレスは作れる、ならば本物にこだわる必要などまったくない。
それが宝石に対するココ・シャネルのコンセプトだ。
安いなら安くても構わない。
希少な素材を使わなくては表現できないのなら、躊躇せずに高級な素材を使えばいい。
それが美に対するココ・シャネルのブレることのない態度だ。
CHANELというのはメーカーというより、そういう心意気につけられた名前なのだ。

『ハイヒールCOP』で著者は主人公にこう言わせる。
「ブランドを身につけるということは、ブランドの歴史を背負うということだ」
そして、それにふさわしい人間になろうという心意気を示し、美を愛するという宣言を意味する。

なんという「粋」。

そしてブランドはアートと違い、流れがある。
アートが普遍的な美であるならば、ファッションはそのイミテーションでしかない。
数年前のデザインにはもう誰も見向きもしない。
ブランド物など所詮は花火なのだ。

なんという「儚さ」。

この粋(いき)と儚さ(はかなさ)が愛しくてたまらない。


でもたったひとつ弱点が。
自分には絵的センスがない。
だからファッション・センスもない。

BURBERRY BLACK LABELが好きになったから着ていたが、最近じゃメンドーだからこればっか買うようになりつつある。
着てねーで着せられてるってか。

本当にセンスのある人はどの店に行ってもいい物を探し出してきて自分でコーディネートしてしまうのだろう。
ぶっちゃけ、そんな時間も根気もいまの自分にはない。

ま、いいや。
楽しむセンスがあるだけでよしとしよう。
自分が死ぬほどこだわる分野は他にあるしね。

study6 タバコ&シガー考
study4 病気と個性
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