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世の中に

2007年03月25日 21:49

世の中にたえて桜のなかりせば
      春の心はのどけからまし
             在原業平
korakuen.jpg

東京のどまん中、小石川後楽園の桜。
背後には東京ドーム。
それでも、春は来る。

「何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにとどんな石を敷きつめてみても、芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――春は都会のなかでさえやっぱり春であった。
 太陽に暖められると、草は生気を取りもどし、すくすくと育ち、根が残っているところではどこもかしこも、並木道の芝生はもちろん、敷石の間でも、いたるところで緑に萌え、白樺やポプラや桜桃もその香りたかい粘っこい若葉を拡げ、菩提樹は皮を破った新芽をふくらませるのだった。
 鴉や雀や鳩たちは春らしく嬉々として巣づくりをはじめ、蝿は家々の壁の日だまりのなかを飛びまわってみた。
 草木も、小鳥も、昆虫も、子供たちも、楽しそうであった。
 しかし、人びとは――もう一人前の大人たちだけは、相変わらず自分をあざむいたり苦しめたり、お互い同士だましあったり、苦しめあったりすることをやめなかった。
 人びとは神聖で重要なものは、この春の朝でもなければ、生きとし生けるものの幸せのために与えられた、この神の世界の美しさ――平和と親睦と愛情に人びとの心をむけさせるその美しさでもなく、互いに相手を支配するために自分たちの頭で考えだしたものこそが、神聖で重要なものだと考えているのだった」
             トルストイ著、木村浩訳『復活』より

春の神秘に、乾杯。
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