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グルメ20 エスニックとエロティック at エレファント・キッチン

2010年01月22日 18:05

エスニック料理(ethnic cooking, ethnic food)。
「エスニック」の意味は「風俗・習慣などが民族特有であるさま。民族的」(『大辞林』より抜粋)だ。
だから、「エスニック料理」とは本来すべての民族料理を示す。
でも日本では、タイやベトナム、インドネシア、モロッコ、メキシコなどの各国料理をさすことが多い。
どうもイタリア、フランスなどの「メジャー」に対比させられているように思える。

エスニック料理が民族料理であるなら、その反対は無国籍料理だろうか。
でも、ぼくは無国籍料理店にいい思い出がない。
「無国籍」の文字を見ただけで敬遠するほどだ(おいしい店もあるんだろうけどね)。

無国籍料理店で出る料理はどれもこれも味が均一で主張がない。
たしかにトムヤムクンを注文すればそれらしい皿が出てくるし、ナシゴレンを頼めばナシゴレンとしか言いようのない料理が運ばれてくる。
でも、それはトムヤムクンでもなければナシゴレンでもない、味のはるかに劣る「何か」だ。

エスニック料理が日本料理やイタリアン、フレンチに比べて一段下に見られる理由がここにある。
「エスニックは洗練されていない」
そんな先入観がとても残念だ。

たしかにそれは先入観だ。
でも、的を射ている部分もある。
日本で食べる多くのエスニック料理は、無国籍料理店のそれのように、やはり洗練されていないのだ。

理由はいくつか考えられる。

まず、エスニック料理のブランド・イメージが弱いために、どうしても値段をおさえなければならない点。
フレンチなら夜のコースが1万円と言われてもそれほど驚かないが、タイ料理に1万円を出す客は少ないだろう。
高級エスニック料理が成立する余地は狭く、結果、その真髄を知る機会が失われてしまう。

次に、知名度と料理人の問題だ。
メジャー系料理の認知度はとても高いので、いい加減なピザやパスタを作っていたらすぐにそれと知れて広まってしまう。
だから、素人がイタリアンの店を出してもほとんど成功しないだろう。
一方エスニック料理の場合、出されたトムヤムクンがどの程度のものなのか、客が判断基準を持っていることは少ない。
それが適当なものであっても「こんなもんか」で終わってしまうのだ。
厳しい批判にさらされることがないから、日本のエスニック料理店にはたくさんの素人調理師が跋扈することになる。
これが全体のレベルを下げ、評価が高まらない原因になる。

評価が高まらないから値段も下げざるをえず……悪循環だ。
だから「エスニックは洗練されていない」になるわけだ。

でも、この命題を否定するのは簡単だ。
ただ1件、反証例をあげればいいからだ。
それが、東京三鷹のタイ料理店、エレファント・キッチンだ。

トムヤムクン。
スープがやたら酸っぱく辛いイメージはないだろうか?
違う。
トム=煮る、ヤム=混ぜる、クン=エビ。
トムヤムクンとは、まずエビのスープではなければならない。
エビを引き立てるための酸味であり辛味でなければならない。

エレファント・キッチンのトムヤムクンを口にしたとき、「いままでのトムヤムクンはいったいなんだったの?」と感ぜずにはいられなかった。
あれならたしかに世界三大スープに数えられても納得がいく。

日本には、なんのスープなのかよくわからないトムヤムクンがあまりに多すぎる。
ダシをとらず化学調味料を使いまくり、それをフォローするように酸味と辛味をやたらに加えて「エスニックってこんなもんか」でよしとする。
「これがおいしいのだ」という主張も、「こうでなくてはいけないのだ」というロジックもない。

でも、エスニック料理には本来、必ずそこに「これこそがうまいのだ!」という強烈な主張がある。
だって、エスニック料理はすなわち民族料理。
民族料理とは、代々土地に暮らした人々が知性と感性を動員して発見・発達させた味を、長い年月が厳しく濾過・淘汰して、なおそこに残った文化の結晶だからだ。

おいしくないはずがないじゃないか!

エスニック料理はぼくたちが知らない文化によって誕生した。
だから、エスニック料理にはぼくたちが知らない快楽が潜んでいる。
本物のエスニック料理を味わえば、世界の広さを知ることができると同時に、自分の中に潜んでいる新たな感覚をも掘り起こすことができる。

だから。
料理に限らず、文化交流とはつねにエロティックなものなのである。

エレファント・キッチン(みたかナビのページ)

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