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人を紡ぐもの -帰省-

2009年01月04日 09:45

大晦日から実家に帰省していた。
昨年の正月から帰っていなかったので1年ぶりだ。
電車を降りた途端に空気がうまかった。
だから空を見た。
三日月の銀に黄がわずかにかかった輝きが神々しかった。
金星の一途でブレない純粋な輝きがとてつもなく美しかった。

空ってこんなにキレイだったっけ?
でも一瞬のちには思い出した。
そうそう、西に昼がうっすら名残り、東に夜が忍び込んでくる時間帯。
トワイライト・ゾーン。
好きだったっけなー、この黄昏時の空が。

小学生の頃、なぜだか冬になるとぼくは毎日のように星空を眺めていた。
あの頃の空とおんなじだ。


翌日のお正月。
おいとめいがうちにやってきて「だいちゃんだいちゃん」と絡んでくる。
よく覚えていたねー、遊びに行こうか。
双眼鏡を持って山に繰り出す。

ぼくが小学校の頃に買ってもらった双眼鏡。
あの月や金星を見るために買ってもらった双眼鏡。
この20年ほど、見ることがなかった双眼鏡。
おいとめいはちょっとケンカしながらいろんなものを双眼鏡で見ては歓声をあげている。

そう言えば、やっぱりぼくが昔買ってもらった地球儀が昔のぼくの机の上に置いてあった。
国の名前はもちろん潮流まで事細かに書いてある、すばらしい地球儀だった。
ぼくは自分が旅した国々を指で追ってみた。
小さなぼくにその様子を伝えるように、旅で見た景色を思い出してみた。

その夜、おいとめいのお母さん、つまり弟の奥さんが、「いろんな塾に通わせているけどもうやめようかと思って」と話していた。
ぼくの母親が「あんまりやらせても無駄になるからねー」と言った。

違う。
違うよ。

たしかにぼくは短波ラジオを無駄にした。
いちばんいいラジオを買ってもらったけれど数か月で飽きて放り投げてしまった。
でもね。
あのラジオで台湾の放送を聞き、台湾に手紙を送り、台湾から礼状を受けたあの瞬間、あの喜びがどれほどだったか。
いまもぼくの心に響いていて、ぼくを構成する「喜び」の一部として確実に生きている。

世界により深く興味を持ったためにあっという間にラジオは卒業してしまったけれど、その代わりにそれをステップにぼくは無線に興味を持ったり中国史に興味を持ったりしてどんどん世界を広げていくことができた。
無線も一瞬だったけれど、あのラジオも、無線も、三国志も、どれひとつ欠けることなくすべてがぼくには必要だった。
ましてやあの双眼鏡や地球儀がどれほどぼくという人生に重要な役割を演じたか。

「だいにもいろいろやらせたけれど、結局無駄だったからねー」

たしかにぼくはもう両手でピアノを弾くことができない。
でもいまでも音楽が好きだし、それにスポーツや風や星やぼくの身体にだって音楽を見ることができる。
こんなぼくを作ってくれたのはきっとあのピアノだ。

たしかにぼくは習字が上達しなくて、3年たっても6級とかだった。
でもね、いま絵が好きなぼくの感性を開くきっかけくらいにはだっただろうし、それに墨の香りや文鎮の重さ、神社にも通じる荘厳な空気……日本の文化のすばらしさを感じるようなぼくに仕上げてくれたいちばんの功労者はあの習字なのかもしれない。

そして、それらを与えてくれたあなた方じゃないか。

すべての瞬間は永遠だ。
あのどの一瞬だって無駄ではなかった。
たとえそれがケガした思い出であれ、病気の苦しみであれ、ぼくは一瞬も失いたくはない。
ただの一瞬も別であってほしかったとは思わない。

だからおいにもめいにも、与えるなら本気で与えてほしい。
一瞬で飽きられたとしても。
一瞬で忘れ去られたとしても。
たとえ一瞬でもその一瞬は永遠にその一瞬なのだから。

両親はわかっているだろうか?
実家の料理のおいしさを。
間違いなくあのおいしさがいまのぼくを動かしていることを。
ぼくをこの世界にとどめたことを。

わかっていないだろうなー。
きっと怒られてちょっとばかし勉強して成績が上がったことの方を誇っているんだろうなー。
うんうん。
でも、親はきっとそうでなくちゃいけない。
その素直さ、一途さ、純粋さが子供を育てる。
そんな気がする。


「また来てねー」
実家にいる間、毎日おいとめいと遊び、最後にぼくにそう言ってくれた。
「また来るよー」
そう答えながら、双眼鏡と地球儀を渡すのを忘れていたことを思い出した。

まぁいいか。
あと5年ほどのうちに渡せば。

あの双眼鏡と地球儀はぼくの両親がくれた「本物」だ。
だからぼくはきっとぼく自身の目でいろいろなものを確かめるようになり、本物の地球を歩くようになったのだと思う。
おかげでいろんな感動や真実に出会えた。
それを彼らに伝えたい。

もちろんいいんだよ、一瞬で捨ててくれても。
双眼鏡と地球儀は完全にもうぼくの一部になっているから。
その代わり、双眼鏡と地球儀から「重い」とか「古臭い」とか「ウザイ」とかいう気持ちでもいいから何かを感じ考えてほしい。
それだってあの双眼鏡と地球儀の一部なんだから。
何かを「感じている」ことに気づくだけでも、すばらしいことだと思うから。


ぼくは東京に来て、またぼくの世界に戻る。
いまにして思うと、あの一体感はなんだったのだろうかと思う。
両親とぼく、ぼくとおいとめい。

血のつながり?
絶対に違う。
確信している。
血のつながりに意味があるとすれば、それは「血がつながっている」という意識があるからだ。
けっして「本能」ではない。

分かり合えるから?
これも違う。
おいとめいが見ているものとぼくの見ているもの。
思考や知識が違えば網膜に入る光は同じでも見えてくるものはまったく異なる。
ぼくは両親との間にも世界の違いをいつも感じている。
だから両親にもおいにもめいにも、ぼくの本当の考えや想いを話そうとは思わない。

でも、そんなことはたいした問題じゃない。
それでも人はつながることができる。


東京の空を見上げてみる。
輝きはすこし鈍いけれども月も金星もしっかり出ている。

みんな知ってる?
月や金星が出ているよ。
金星ってね、月のように満ち欠けするんだよ。
1月4日前後の夜には流星群だってやってくるんだよ。

ほんの少し、空を見上げてみてはいかがだろう。
その一瞬から、何かの物語がはじまるかもしれないから。
何かとつながることができるかもしれないから。
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