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たびロジー5 いい絵、いい映画の基準

2007年01月20日 00:00

ゴッホの「パリの小説」を見た。
目が離せなかった。
美術館にはもっと衝撃的な絵もあったし、意味深い作品もあった。
しかし、ただ机の上に無造作に置かれた本を描いたこの作品を見ているうちに涙が出てきた。
絵の物語に感動したわけではない。
ゴッホという人に感動したわけでもない。

料理も映画も絵も写真もそれぞれに楽しみ方がある。
もちろん。

たとえば『タイタニック』という映画がある。
いい映画だろうか?
ある人は感動したといい、ある人は全然おもしろくなかったという。
もちろん、どちらでもいい。

しかし。

ここに2枚の絵がある。
1枚はゴッホの絵「パリの小説」。
もう1枚は、小さな子供が亡くなりつつあるおじいちゃんに贈った絵。
子供が死をはじめて理解して、それまで冷たくしていたおじいちゃんに、「いい子になると約束するよ」と語りかける内容だ。

この2つの絵、「どちらが好きか」と聞かれれば、それぞれがそれぞれの好みを答えるだろう。
好き嫌いは主観だから問題はない。
しかし、ゴッホの絵には億単位の値段がついている。
子供の絵に値段はつかないが、ゴッホを知らぬ中立的な人たちに、「どちらの絵に感動したか」と問えば、おそらく多くの人は「子供の絵の方が感動した」と答えるだろう。

なぜゴッホの絵にはそんな値段がついているのか?
投機目的?
もちろん現在の値段はそういう意味で吊り上げられた値段だ。
しかし、それなら誰の絵でもよかったのか?
そんなはずはない。
ゴッホの絵がすぐれていたから認められ、値段がつき、取り引きされるようになったから投機の対象になったのだ。

では何が他の絵に比べてすぐれていたのか?
感動の量?
それなら子供の絵にも値がついていいはずだ。
需要?
なんの需要であるにせよ、需要は時代によって、国によって、民族によって変わるわけだから、それぞれの時代で認められたり、一度認められたものが急激に認められなくなることもあるはずだ。
ところが、本物と呼ばれるアーティストの作品にはそういうことがほとんどない。

どうやら主観の違いなどによらず、普遍的にすぐれた作品が存在し、普遍的な価値基準がありそうだ。
人々はこの普遍性に「アート」(芸術)という名をつけた。
裏を返せば、もし普遍性がなければアートなどこの世に存在せず、経済上の一概念にすぎないことになるだろう。
アートは存在するのだろうか。

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