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study11 やさしさ

2009年02月27日 11:30

たぶん彼女の記憶にはないだろう。
「やさしくしてなんかほしくなんかない。ただ私を認めてほしい」
みんなが酔っ払っているなか、ふとそう漏らす人がいた。
とても打たれた。
なぜ戦争が起こるのだろう?

最前線ではないが、戦場も旅した。
ぼくには縁のない世界だと感じた。

正義VS正義。

人類の正義の歴史は、「悪を減らせば正義が増える」という信念に基づいているように思える。
では聞きたい。
「少しくらい悪は減ったのか? 正義は増えたのか?」

その信念が正しければ悪は年々減り続けているはずだ。
だが、人類史上最悪の虐殺が起こったのはほんの10年前まで続いた20世紀であり、戦争で人がもっとも多く死んだのもその最新の20世紀だ。

パレスチナを旅した。
人と接しているうちにパレスチナ人を好きになり、ユダヤ人を嫌いになる。
イスラエルを旅する。
人と接しているうちにユダヤ人を好きになり、パレスチナ人を嫌いになる。
ぼくは人間だし、それが人間だと思う。

「人の気持ちになれ」
小さい頃からそう教わった。
ではぜひ彼らの気持ちになってみてほしい。
パレスチナの痛みを、ユダヤの屈辱を、自分のものとしてとらえてみてほしい。

どう思う?
家族が、恋人が殺されてるんだぜ?
あなただったら何を考える?
自爆テロがダメだと、なぜ言える?
その悲しみを耐えろと、どうして言える?

本当に人の気持ちになることなんてできるのか?
それに、できたらできたでぼくはゲバラを気取って資本主義社会を破壊に導こうとするかもしれない。
そして人を殺し、悲しみは連鎖するだろう。
ぼくは中東の彼らの笑顔が好きだし、同じだけ日本やヨーロッパで出会った笑顔も好きだ。
たまたま生まれた場所で流通している思想が違っているだけで、みんな例外なく家族を愛していたし、おいしいものや美しいものが大好きだし、痛いのは嫌いでやさしくしたりされたりするとほっこりした笑顔を見せてくれた。
思想なんてどうあれ、そんなものよりずっと深い部分で確実に人はつながっている。
ぼくにとって大切なものというのは、そんなものたちのことだ。

「あなたのためを思うから言っているの。だからそんな生き方はダメ」
君はとてもいい人だと思う。
でも君はぼくを理解していない。
正義の名の下に自分の思想を他人に強要すること。
それは暴力だよ。

でも。
これを突き詰めていくと「人は人に意見できない」ということになりはしないだろうか?
待てよ。
意見し合うこと、気持ちをわかろうとすることはいいことだとしよう。
ても、意見が合わないと人は生きていけないのだろうか?
気持ちが同じじゃないと一緒に暮らせないのだろうか?

旅の中で多くの人にあったが、思想も気持ちも千差万別だった。
そんなことが大切だったか?
みんなにされていちばんうれしかったのはなんだったか?

それが。
人を認めること。
人を人として認めること。

 * * *

「やさしくしてなんかほしくなんかない。ただ私を認めてほしい」

ぼくはあなたの考えに賛成しないかもしれない。
ぼくはあなたの生き方についていけないかもしれない。
それであなたを傷つけるかもしれない。
でもね。
また一緒に飲もうよ。
なぜって、あなたがまさに生きているから。
ぼくもね、生きてるんだ。
だからおいしいものを一緒に食べよう。
「おいしい」を一緒に感じる――
考え方を知ろうとするよりも、こちらの方がよほどすてきだと思わない?

ぼくは言いたい。
あなたが感じるものはすべて正しい、と。
キレイごとじゃない。
本当に。

でもひとつだけ、考えてほしい。
それはあなたの身体が、あなたという人間が、本当に感じているものなのか?
誰かが植えつけた、誰かに教えられた、誰かに言われた、そんなものじゃないのか?
もしあなたが本当に感じたものなら、ぼくはそのすべてを認めたい。
あなたが人を殺すことも、あなたがぼくを殺すことも、あなたが自分を殺すことも。

ぼくにとってやさしさとはそういうものだ。
だから、やさしさに報酬は必要ない。
何もしていないのだし。

「情けは人の為ならず」
情けは自分に返ってくるって?
それって「自分が第一」ってことじゃん。
やさしさが本物であるのなら、自分が何をしたのか相手に知られる必要さえないはずだ。
考える間もなく飛び出しているはずだ。

理想論かな。
違う。
違うという確信がぼくにはある。

とても尊敬する人がいる。
彼女は海外でナイフを出されたとき、持っていたおにぎりを渡して「これおいしいよ。日本のご飯なの」と、強盗と友達になってしまった。
きっと彼女が心を開いていたから。
一方のぼくは武道の経験があったので、戦うべきかお金を出すべきかで迷っていた。
もしかしたらぼくはそこに戦場を生み出してしまっていたかもしれない。
彼女はそこに友情さえ生み出して見せた。

ぼくはぼくにアドバイスをくれる人よりも「これが私」だと心を開ける人が好きだ。
それこそがぼくが求めていた「強さ」だということに、このとき気がついた。
ずいぶん遠回りしたけれど、マンガによく出てくる臭いセリフ、「強さとはやさしさなんだ」という言葉の意味がようやく理解できた。
ぼくはあんな人になりたい。

だから。
ぼくは人を完全に理解しようとは思わない。
その代わり、人を認められるようになりたい。
でも、相手はそう簡単にはぼくを信用してくれないだろう。
ぼくは裸にならなくてはならない。

「ぼくはこういう人だ。話を聞くよ」と言えるようになりたい。
いつでも「ぼくはここにいるよ」と言いたい。
ぼくをどんなふうに理解してくれても構わない。
ただ立っていたい。
これがぼくだと。

このbolgを立ち上げた理由のひとつがこれだった。

逆にこれで多くの人を傷つけていることを知っている。
空気を読まないがために、考えずに行動するために。
でもね。
現時点では、ぼくはこれがやさしさだと考えている。
そしてもしこの世界から戦争をなくす方法があるとするならばこんな方法なのではないかと、漠然と感じている。

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