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ウソだ!4-2 死の定義 後編 <生きる意味>

2008年06月05日 21:01

さて、ここで「死」を考えてみよう。
それも、「自分の死」を。
「自分が死ぬ」とはどういうことだろう。
自分の体が活動を停止すること――
でも、「自分の体」も脳が創り出している映像なのだから、たしかな表現とは言えない。
ならばこう言えばいい。
「脳が活動をやめる」こと。

すべてを創り出す脳が活動を停止する。
何が起こるだろう?

もう映像は創り出せない。
感覚も創り出せない。
感情も創り出せない。
時間も創り出せない。
何も創り出せない。

じゃあ「本当の自分」は?

脳が死ぬと何も創れない。
それはわかる。
自分という意識がなくなる。
それもわかる。

でもさ、意識はなくなるかもしれないけれど、自分の意識を創り出していた元の自分、「本当の自分」はどうなるんだ?

「眠り」を考えてみる。
眠りに落ちるとき、「私」という意識は消滅する。
次に自分を意識するのは、起きた瞬間だ。
起きて空間と時間の中にふたたび戻った瞬間だ。
それとどう違うんだ?

眠りで脳が通常の活動をやめたからといって、自分が無になったわけじゃない。
見ている世界も自分という意識も消えてしまったが、自分が消えてしまったわけじゃない。
実は「眠り」と「死」の違いは「将来ふたたび自分を取り戻すか否か」にかかっている。
眠る瞬間と死の瞬間、その瞬間だけを比べたら何の違いもありはしない。

同じように、脳が活動を停止したからといって、自分が消滅することを意味してはいない。
死ぬことと「本当の自分」はまったく関係がない。

もし宇宙が100次元とか別の可能性の宇宙とか、そういう「本当の宇宙」があるのなら、3次元空間の自分が死んでも、他の空間で「自分」がどうなっているかまったくわからない。
そして、脳に情報を送っている元の世界=「本当の宇宙」は必ず存在しなくてはならない。

つまり、死は無を意味しない。


この話、実は脳を否定しても結論はまったく変わらない。
人間が見ている映像は脳が創り出したものではないとしても、人間の思考が創り出したものであることに間違いがないからだ。
人間は3次元空間と時間の中でしか生を意識することができない。
死とは、その空間と時間がなくなることにすぎない。

つまり、死はけっして無を意味しない。
しかし……

いまぼくたちが見ている世界でぼくはぼくを感じる。
この「ぼく」を「心」という。
いろいろな素材から世界やぼくを生み出している「本当のぼく」。
この『ぼく』を「魂」という。

「ぼく」が生きている間、「ぼく」はいろいろな世界を体験し、誰かと出会い、誰かと別れ、笑ったり泣いたりしながら生きていく。
心でいろいろなものを感じ・考えながら、「ぼく」は「ぼく」を生きる。

「ぼく」が死んでしまったら、「ぼく」はもう世界を創り出せないから、「ぼく」は出会ったものすべてと別れなければならない。
「ぼく」におもしろい話を聞かせてくれた友達や、とてもかわいらしい女の子や、とてつもない感動を与えてくれた食べ物たちと別れなければならない。
「ぼく」は『ぼく』になっていったいどうなるかわからないけれども、死が別れでありそれがとてつもなく悲しいということはよくわかる。

死はけっして無を意味しない。
死が意味するのはただひとつ。
別れだ。
だからいつの時代でも死がとてつもなく悲しいものであることになんら変わりはない。


昔から、人はこれに気づいていた。
だから、人は死を悲しみ、あらゆる民族が遺体を埋葬してきた。
4万年前、文字を持たなかったクロマニヨン人たちでさえ、遺体を埋葬していた。
人々は遺体を埋葬すると同時に、故人に永久(とわ)の別れを告げ、この世ならぬ場所、人知の及ばぬ「本当の世界」、「あの世」に無事に旅立つことを祈って送り出す。
心との別れを悲しみ、魂の平穏を祈る。
例外なく、全民族が、全人類が、そうしてきたのだ。

心と魂――
心と魂という発想があらゆる文化に存在するのは、偶然ではなく必然だ。

死は人知を超えているからどうやっても定義できない。
逆に言えば、死は定義できないから、死について述べるあらゆる言説は間違いだということになる。
定義できないものを語ることなどできないからだ。

死ぬと無になる……
死後、人は……
こんなセンテンスはいっさい無意味だ。
ただ、死は別れであり、悲しみなのだ。

死には意味がない。
意味はすべて「生」の中にある。

「我々が存する限り死は現に存せず、死が現に存するときにはもはや我々は存しない……。そこで、死は生きている者にもすでに死んだ者にもかかわりがない」(エピクロス著、出隆・岩崎允胤訳『エピクロス ―教説と手紙―』「メノイケウス宛の手紙」より)

生きる意味がわからないって?
何を勘違いしてるんだ。
「生」こそが意味だ。
とてつもなく深い意味で、人と人が寄り添って意味を創造する活動、世界を構築する活動こそが「生」なのだ。

だからこそ、こう言いたい。
こう言わなければならない。

生きろ。

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