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thesis

2007年01月01日 00:00

thesis
人はたったふたつのことしかできません。
考えること。
感じること。

たとえばサッカーをする。
ボールや風や相手の息や大地の力を「感じて」とらえ、それを「考えて」自分の身体をよりよい方向へと全身の筋肉を「感じて」動かし、また次の戦略・戦術を「考えて」、「感じて」とらえた筋肉を動かして次の一歩を踏み出していく。

主観でまとめること。それが考えること。
客観をとらえること。それが感じること。
「自」と「他」の秘密がこの感じることと考えることに込められています。

同時に、「自」と「他」の総体が「世界」です。
「世界」の秘密はこの「自」と「他」、つまり感じることと考えることに込められているわけです。

しかもです。
この「自」と「他」、あるいは「考える」ことと「感じる」こと、さらには「主観」と「客観」は、究極のレベルでは区別がつきません。
何も感じることができない赤ん坊は永遠に「自分」を持つことはなく、「世界」が開けることもありません。
何も考えることができない赤ん坊は「感じている」ことさえ知ることはなく、やはり「自分」を持ち「世界」が開けることはありません。
感じるためには考える必要があり、考えるためには感じる必要があります。
考えることと感じることは、最終的にはほとんど同じこと、と言うほかなくなります。

私たちが住んでいるこの「世界」とはなんでしょう?
私たちというときのその「私」とはなんでしょう?
すべての秘密がここに隠されています。

世界とは何か?
私とは何か?

太古の人々、あるいは原始の生活を送る採取狩猟民たちは、この問いに「神」という謎の存在で応えようとしました。
しかし、謎は結局謎として残り、人間は真理を知ることができないという不可知論でまとめることになりました。
もちろんその不可知論には論理的根拠がありません。

一方、現代の人々は「科学」というものでこれに応えようとしています。
しかし科学が真理であることの論理的根拠もまた同様に皆無で、明確な限界さえあります。

人間が生まれたときから存在するこの史上最大の謎、世界最大の謎。
私はこれが問いたい。
死ぬほど問いたい。
なぜなら、社会や政治の課題、宇宙の謎、人生の問題、あらゆる問いがここから発しているからです。

そんなこと考えてなんの意味があるのかって?
わかりません。
そうせずにはいられない。
それだけです。

ただ。
その先にはなにかすばらしいことが待っている予感がします。
別にそうしたものが存在しないのであればそれはそれで構いません。
答えさえ出るのなら。

これが私の問いです。

そうしたものが知りたくて、物理学にその秘密がありそうなら物理学、大脳生理学や心理学に真理がありそうならそれらの学問の構造と論理を学び、そこにないとわかったら、今度は哲学の本を古代ギリシア時代から現代にいたるまで紐解き、こうして「考える」こと、すなわちlogic=論理を追いました。
あるいは感じることに秘密がありそうだと思えば、音楽を聴き、文学を読み、絵画を見、おいしいものを食べ、世界中を旅して「感じる」こと、すなわちart=美を全身で探りました。

心と体を使ったtravel=旅。
限界まで使い切って旅したい。
そう思って作ったのがこのブログです。

おそらく世界の99%の人には関係がない話でしょう。
ただ、死ぬほど必要としている人もきっといるはずだと信じています。

そんな人々に。



※ただし、書いてあることが正しいとは限りません。
正しいと思って書いているとも限りません。
判断はお任せします。
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