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なんとかなるVSなんともならない

2008年02月26日 17:21

仕事の山を越した。
ふ~
なんとかなるもんだ。
「なんとかなるもんだ」

子供の頃はずーっとこう思っていた。
実際、なんとかならなかったことなどなかった。

本番にやたら強い子供で、たとえばできないことであっても試験本番や体育のテストの当日にいきなりできるようになったりしていた。
自分でもなぜだかわからない。
世の中ってそういうものだと思っていた。

就職してはじめて「なんともならない」状態というものを把握した。
なんのことはない。
それまでだってそんな経験はしていたのに、そう認識していなかったというだけの話。
ようするに天然だった。

「体」についても同じだ。
体はかなり丈夫で、健康優良賞もとったし、スポーツ・テストでも何種目かで校内ベスト10とかで張り出されるくらいだった。
それがいつからか健康さえ当たり前でもなくなった。
いや、別に持病があるわけではない。
たとえば空手をやっていてヘルニアになりかけ、足の指を折って変形し、頭を蹴られて首がコキコキいうようになり、こうしてもう治らない体の変化も体験した。

一度なってしまったら戻らない。
「なんともならない」
ある時期まで、こういう不可逆的な出来事が怖くて怖くて、でもこんな出来事が年をとるにつれてどんどん多くなっていく気がした。

でも。

数年前から考え方が180度変わった。
もともと出来事というのはすべて不可逆的で永遠なものなのだと。

だって楽しかった思い出は自分の身体の一部だし、痛かった思い出も自分の身体の一部。
すべての瞬間の総体として自分がいる。
どの一瞬が欠けてもそれは自分ではないわけで。

一つひとつの経験はたとえ忘れてしまっているとしても永久に変えようがなく、だから一瞬一瞬経験することはつねに永遠で不可逆的だ。
瞬間即永遠。
それゆえどの瞬間も等しくかけがえがない。

「なんとかなるもんだ」というのは存在しない「過去」のための言葉。
「なんともならない」も同様に存在しない「未来」のための言葉。
存在しないもののために必要以上に気を揉んでも仕方あるまい。

ま、そうはいっても「なんとかなるもんだ」と言いながら飲むビールがまたうまい。
人はいつだって瞬間の中に生きつつも、未来と過去に気を揉まずにはいられない。
それもまた人生。
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